宍戸錠(ししど じょう)は、戦後の日本映画界に一時代を築いた伝説的な俳優です。
そのトレードマークである厚い唇と、クールでタフなアウトロースタイルは、
多くの若者を魅了し、「エースのジョー」として日活アクション映画の黄金期を牽引しました。
兄弟・家族構成
宍戸錠(ししど じょう)さんは1933年12月6日、大阪府大阪市に生まれました。
兄弟には、弟で同じく俳優として活動した宍戸開さんがおり、親子二代にわたり
芸能界で存在感を示しました。
家庭では俳優業に理解を持つ妻と3人の子どもに恵まれ、芸能一家として知られています。
地元情報
生まれ育った大阪市は、商業と文化の融合地。
戦後の混乱期から復興を遂げる大阪のエネルギッシュな空気が、後の宍戸さんの
アクション俳優としての豪快さに影響を与えたといわれています。
学生~芸能までの軌道(年号付き)
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1952年(19歳):
大阪学芸大学附属高校を卒業。 -
1954年(21歳):
日活ニューフェース第1期生として芸能界入り。同期には小林旭、浅丘ルリ子など。 -
1955年(22歳):
映画『警察日記』でデビュー。 -
1960年代:
日活アクション映画でスターに。
『拳銃無頼帖』シリーズなどで日活の悪役スターとして名を馳せる。 -
1970年代:
日活の経営方針転換に伴い活動の幅をテレビドラマに拡大。 -
1980年代:
再び映画界で活躍。個性派俳優として存在感を発揮。 -
2000年代:
バラエティ番組やトークショーに出演し、お茶の間の人気者に。 -
2020年(86歳):
自宅で倒れ、惜しまれつつ逝去。
裏ワザ・豆知識
宍戸錠さんのトレードマークは、整形による分厚い唇。
実はデビュー当初は個性が薄いと指摘され、プロデューサーの助言で唇を厚くする整形を決意。
これが功を奏し「エースのジョー」として一気に知名度を獲得しました。
現在で言えばブランディング戦略の先駆けといえるでしょう。
ファンの口コミ
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「宍戸錠の存在感は唯一無二。スクリーンに映るだけで映画が締まる」
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Shishido Jo embodied the wild charisma of Japanese action cinema.
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「悪役なのにカッコいい。真似して革ジャンを着ていた」
世界への寄付活動など芸能以外の活動
宍戸さんは晩年、若手映画人の育成にも力を注ぎ、映画祭やトークイベントに
積極的に参加しました。
また、阪神淡路大震災の際には被災者支援イベントに出演し、自らも寄付を行うなど、
社会貢献活動にも尽力しました。
出演番組年表
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1955年:映画『警察日記』
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1960年代:『拳銃無頼帖』シリーズ
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1970年代:ドラマ『太陽にほえろ!』ゲスト出演
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1980年代:映画『麻雀放浪記』
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2000年代:トーク番組『徹子の部屋』出演
映画・ドラマ出演歴
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『拳銃無頼帖』シリーズ(1960年代)
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『殺しの烙印』(1967年)
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『麻雀放浪記』(1984年)
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ドラマ『太陽にほえろ!』
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ドラマ『必殺仕事人』シリーズ
全活動年表(国内外)
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1954年:日活ニューフェースで芸能界入り
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1955年:映画デビュー
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1960年代:日活アクションでスター俳優に
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1970年代:テレビドラマ進出
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1980年代:映画・舞台で再評価
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2000年代:タレント活動や回顧番組出演
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2020年:逝去
海外ファンの声
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Jo Shishido’s movies introduced me to Japanese cinema. His tough style was unforgettable.
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「欧米のアクションスターにも負けない迫力があった」
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He was Japan’s answer to James Dean, with even more grit.
代表作・役柄解説
代表作は『拳銃無頼帖』シリーズと『殺しの烙印』。
特に『殺しの烙印』では鈴木清順監督の独創的な映像美の中で、クールで孤独な殺し屋を演じ、
世界的に評価されました。
また『麻雀放浪記』ではクセのある役どころで観客を魅了し、名バイプレイヤーとしての
地位を確立しました。
未発表エピソード(裏話集)
撮影現場では常に革ジャンを身につけ、後輩俳優に「映画は生き様だ」と語っていたそうです。
また、整形後に初めて鏡を見た際「これで俺はエースになれる」と
自信を持ったというエピソードも有名です。
さらに、共演者からは「実はとても優しくて面倒見が良い兄貴分」として慕われていました。
まとめ文
宍戸錠は、日活アクション映画の黄金期を支えたスターであり、その特異な存在感は
今もなお多くの人々の心に刻まれています。
デビュー当初は個性が薄いとされ、自らの意志で整形を行ったというエピソードは、
俳優としての強い信念とプロ意識を物語っています。
その決断が功を奏し、「エースのジョー」として一躍スターダムにのし上がりました。
『殺しの烙印』でのクールな殺し屋役は世界的に評価され、その独自のスタイルは後の
クリエイターにも大きな影響を与えました。
また、晩年はバラエティ番組でもその飄々としたユーモアセンスを発揮し、
お茶の間でも愛される存在となりました。
スクリーンで見せるタフな姿の裏には、後輩への面倒見の良い兄貴肌な一面があり、
その人間的な魅力が多くの人々を惹きつけてやみませんでした。
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