基本プロフィール
1928年9月5日生、千葉県君津郡青堀町(現・富津市)出身。
自民党の衆院議員を通算7期、予算委員長や党広報委員長などを歴任。
「国会(政界)の暴れん坊」「ハマコー」の愛称で知られ、1993年に政界引退。
2012年8月5日逝去。
兄弟・家族・子供
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実弟:浜田正雄(京葉銀行・頭取を務めた人物)。
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子:長男の浜田靖一(やすかず)は衆議院議員・元防衛大臣。
第一次麻生内閣で防衛相、2022年にも再任。 -
妻:浜田寿美子(2022年9月30日、89歳で逝去との報)。
政治家として(略歴&トピック)
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1955年 富津町議に最高点で初当選 → 1963年 千葉県議 → 1969年 衆議院初当選。
以後7回当選。 -
1973年 石原慎太郎らと派閥横断の政策集団「青嵐会」結成(事務局長)。
武闘派として存在感を強める。 -
要職:農水・防衛の各政務次官、衆院建設委員長、衆院予算委員長など
(国務大臣経験なし)。 -
主な騒動・発言
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1979年「四十日抗争」での強行突破シーンなど“武闘派”の象徴的映像が残る。
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1988年 予算委員長時代の「宮本顕治『人殺し』発言」で委員長辞任。
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ラスベガス賭博疑惑は晩年の証言含め再検証記事がある(文春オンライン連載)。
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1993年に引退。著書『日本をダメにした九人の政治家』はミリオンセラーに。
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まとめ(人物像の要約):
自民党の中枢ポストを歴任しつつ、歯に衣着せぬ発言と行動で賛否を呼ぶ暴れん坊
キャラを貫いた政治家。
コトバンクの人物小伝も同様の経歴要約。
バラエティ・メディア露出
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政界引退後はタレント活動を活発化。
テレビ朝日『ビートたけしのTVタックル』のレギュラーとして
「悪党党幹事長」を名乗り、政治談議で人気に。 -
フジテレビ『笑っていいとも!』(2002年4–9月)などバラエティ出演歴。
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代表的なハマコー節は発言録にも多数(郵政、安保、政局評など)。
地元の思い出(少年期エピソード)
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千葉・青堀町の大地主の家に生まれ、「青堀小学校へ他人の土地を踏まずに通えた」というほどの環境だったと自ら語る。
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旧制木更津中に特待で進むが、戦時下の学徒動員で第2海軍航空廠に動員。
終戦をそこで迎える。終戦後、父(甚三郎)が博打にのめり込み家は没落。母の引くリヤカーを後押ししながら、「父が失ったものを自分一代で取り返す」と誓ったという回想が残る。
有吉×ハマコー 名場面集 ベスト10
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「悪魔の契約にサイン」(2009年)での突撃直撃バトル
ハマコーがアンケートをめぐって「知らねえよ!」と絶叫した直後、有吉が
「クソジジイ!」と挑発 → ハマコーが胸ぐらをつかむなどのアクションが展開し、
不意打ちのカラーコーン投擲も発生。まさに「伝説のケンカロケ」シーン。 -
有吉の「クソジジイ」呼ばわり
あまりの挑発にハマコーが激怒し、有吉を名誉の植え込みに追いやるほどの大騒ぎに。 -
車を間違えるハマコー
有吉に突入した後、冷静さを失い、自分の車と有吉の車を取り違えるユーモラスなオチ。 -
「天国に行きたい」に対し有吉の即ツッコミ
ハマコー「天国に行きたい」→ 有吉「天国はいけないでしょ(地獄は当然)」と
畳み掛け、笑いを誘う毒舌。 -
有吉の師匠呼ばわりと名シーン称賛
お笑い芸人の吉村崇が「コメント単位じゃない、やり取りすべてがすごかった」と
師匠と慕い、伝説として語るほど。 -
ネットで話題沸騰:トレンド入り
このやり取りが放送された後、「ハマコーさん」が一時トレンド入りし、
SNSで「腹筋崩壊」など爆笑コメントが続出。 -
執拗な追い込み+暴言応酬
事務所訪問時、有吉がハマコーに再び「クソジジイ」と言われる →
「クソジジイはひどすぎる」と訴える、互いに体当たりな攻防。 -
伝説ケンカロケとして語り継がれる名場面
TBS『水曜日のダウンタウン』でも再注目され、
「芸人が一番スゴいと思ったやり取り」「伝説」として紹介。 -
ハマコーの掟破りの暴走キャラが全面に
男気と威厳、暴走、滑稽さが混在したハマコーらしい総合格闘系リアル芸で有吉を圧倒。 -
今では絶対見られない本気のやり取り
吉村崇ら芸人たちから「今じゃできない攻めたロケ」と評されるほど、
バラエティー界でも類を見ないリアルな掛け合いだったことが強調されている。
解説
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この対決はただのバラエティではなく、有吉の冷たいリアクションと、ハマコーの
政界の暴れん坊”としての本能がクロスし、テレビ史に残る爆笑&名シーンの宝庫に。 -
今振り返っても、あのやり取りのリアルさと迫力は、名場面の域を超えています。
まとめ
「国会の暴れん坊」として知られる政治家・浜田幸一、通称「ハマコー」。1928年生まれ、
千葉県出身。
1969年に衆議院議員として初当選し、通算7期務めました。自民党の中枢ポストを歴任する一方で、歯に衣着せぬ発言と行動でたびたえ賛否を呼び、「武闘派」として存在感を示しました。
石原慎太郎らと「青嵐会」を結成するなど、その政治姿勢は一貫して
ブレることがありませんでした。
1993年の政界引退後は、タレントとして活躍。特に『ビートたけしのTVタックル』では
「悪党党幹事長」を名乗り、政治談義で人気を博します。
その豪快なキャラクターはバラエティ番組でも健在で、特に有吉弘行との「クソジジイ」を
巡る激しいやり取りは、今なお伝説の「ケンカロケ」として語り継がれています。
息子の浜田靖一も衆議院議員で、防衛大臣を経験。地元千葉では大地主の家に生まれながらも、
戦後の家業没落を経験した苦労人としての顔も持ち合わせていました。
2012年、83歳で逝去。政界からバラエティまで、常に注目を集め続けた波乱万丈の生涯でした。
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