1・三姉妹の長女として育まれた絆
-
宮崎市で生まれ育つ
1964年11月12日、宮崎県宮崎市に三姉妹の長女として誕生。父は教育者、母は家庭を支える専業主婦で、温かい家庭環境のなかで育つ。家族ぐるみの団らんが日常で、姉妹の仲は固く結ばれていた。
-
放送好きな少女時代
小学校では放送委員、絵本の朗読や学芸会の司会が得意に。中学・高校でも放送部に所属し、NHK全国中学校放送コンテストに朗読で入賞するなど早くから声への才能を開花させた。 -
海外体験が拓いた視野
高校2年で交換留学生として米国ニューヨーク郊外へ1年間留学。異文化のなか、
英語による自己表現力を磨き、帰国後も上智大学の寮で多国籍の友人と切磋琢磨した。
2.上智大・フランス語専攻からアナウンサーへの飛躍
-
3カ国語を武器に
上智大学外国語学部フランス語学科に進学。フランス語に加え、英語・日本語の
トリリンガルとして培った語学力が、後の報道キャリアの礎となる。 -
「ミス・ソフィア」受賞からフジテレビ内定へ
1984年、大学公式ミスコン「ミス・ソフィア」グランプリ獲得。ラジオ出演や紀行番組
リポーターの経験を積み、記念受験で臨んだフジテレビアナウンサー試験に合格。
3.花の三人娘としての輝き―フジテレビ時代
-
ニュース番組で磨いた知性
『FNNモーニングコール』『FNNスピーク』など朝の報道を担当。
聴きやすい語り口と的確な情報整理で、知性派キャスターの地位を確立した。 -
パリ支局1年特派員
1991年、『FNN World Uplink』立ち上げに伴いパリ支局へ派遣。ヨーロッパ事情を
現地から生報道し、帰国後は東京スタジオでメインキャスターを務めた。 -
バラエティにも挑戦
『笑っていいとも!』テレフォンアナウンサーや紀行・情報番組のリポーターとして、
幅広く活躍。ニュースとバラエティを横断する柔軟な才能を見せた。
4.花田景子として―貴乃花光司との結婚と家族
-
横綱婚のニュース性
1995年、当時横綱・貴乃花光司と結婚。華やかな神前挙式と約1,000名の披露宴が
大きな話題に。公私ともに注目を浴びる花田家の一員となる。 -
相撲部屋の女将として
貴乃花部屋の女将役を務め、部屋行事や親方会合をサポート。
エクササイズ普及や講演活動を通じて「おもてなし」の心を伝えた。 -
三児の母としての顔
長男・花田優一をはじめ二女をもうけ、子育てとキャリアの両立に励む。
家庭と仕事を円満に回す、強く優しい母親像を示した。
5.フリー転身後―言葉のアカデミーで伝える力
-
言葉を教える講師業
1994年の退社後はフリーに。2016年、自身の会社を設立し「河野景子のことばの
アカデミー」を開校。会話術や朗読指導で、多くの受講生を育てる。 -
日本語検定協会・名誉会長に就任
一般社団法人日本語力検定協会の名誉会長に迎えられ、「言葉の大切さ」を全国へ発信。
講演会やメディア出演で、言語文化の振興に寄与。 -
ラジオパートナーとしての一面
ニッポン放送『渡部陽一 勇気のラジオ』など、ラジオ番組のパートナーも務め、
声だけで聴衆に寄り添う才能を発揮。
6.ふるさと宮崎への愛情―土壌が育んだ柔らかさ
-
宮崎グルメを伝える味覚取材
チキン南蛮や冷や汁のルーツを語るロケでは、自ら地元の漁港や農家を訪ね、
料理に込められた歴史と人情をリポート。 -
自然災害取材に生きる“郷土愛”
宮崎に近い台風被災地での自主取材が評価され、ANNアナウンサー賞
「原稿のないもの部門」優秀賞受賞。故郷への思いが、報道をより真摯に彩った。 -
いつでも宮崎の心構え
故郷の方言や祭り文化を大切にし、全国放送でも宮崎への愛を語り続ける。
大人になっても変わらぬ故郷への誇りを胸に。
まとめ
三姉妹の長女としての家庭愛、上智大で磨いた語学力、フジテレビ花の三人娘としての輝き、
横綱との結婚・女将時代、そしてフリー転身後の「ことばのアカデミー」開校―河野景子は、
声と表現を通じて常に人々の心を結んできました。故郷・宮崎への思いを軸に置きながら、
ニュース報道から言葉の教育まで幅広く活躍し、今もなお「言葉の力」を伝え続けています。
声という宝を胸に、これからも河野景子は、言葉の魔法で聴衆と世界をつなげていくでしょう。
コメント