1.三姉妹の末っ子として育まれた家族の絆
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宮崎市での誕生と転機
1979年8月9日、宮崎県宮崎市に生まれる。父親の仕事で幼少期には家族そろって
ニューヨークとオックスフォードに計1年間滞在。異国の空気と多彩な言語が、好奇心と声への興味を早くから目覚めさせた。
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3姉妹の末っ子
松尾家は3姉妹。次姉は宮崎放送/テレビ西日本で活躍したキャスターの松尾恵子さん、
長姉は地元市役所勤務。姉たちの背中を見て「人の前に立つこと」「責任をもって伝えること」の大切さを学んだ。
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父からの哲学的教え、母からの朗読指導
大学教授でもあった父は論理的思考を説き、母は子守歌や絵本の読み聞かせで情感豊かな
語りを教え込んだ。家のリビングが、最初の朗読劇場であり、言葉の力を体感する場
だった。
2.アナウンサーへ―宮崎西高から慶應大、そしてテレビ朝日へ
生目台中〜宮崎西高 播いた放送部の種
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英語スピーチコンテストでの優勝
生目台中学校在学中、県大会を経て全国スピーチコンテストで優勝。
英語で感情を伝える立体的な表現力を身につけた。 -
宮崎西高校放送部での本格始動
全国有数の成果を誇る放送部に所属。校内番組制作、ドキュメンタリー取材、
朗読大会で実力を磨き、機材操作から編集まで手がけるチームワークを学ぶ。
慶應義塾大学での知的基盤と国際感覚
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総合政策学部で公共を学ぶ
慶應義塾大学総合政策学部に進学。政策過程論やメディア論を学び、
「社会を伝える視点」を鍛える。 -
テレビ朝日アスク2期生としての鍛錬
学業と並行してテレビ朝日の養成機関「アスク」に通い、発声トレーニング、
カメラテスト、スタジオ実習を徹底的にこなした。
社専願の勝負―内定獲得まで
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テレビ朝日のみに絞った就活
大学3年時にアナウンサー試験をテレビ朝日のみで受験。
「言葉で人と世界をつなぐ」志を小論文と面接で示し、内定を勝ち取る。
3.テレビ朝日でのキャリア概観
新人期の挑戦―生放送デビューと自己批評番組
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入社2日目に『スーパーモーニング』登場
2002年4月入社後、わずか2日目で朝の生情報番組に登場。
即戦力としての緊張感を体得した。 -
『はい!テレビ朝日です』進行役
2002年7月〜2003年6月、日曜早朝の社内PR番組で自己批評コーナーや
インタビューを担当し、番組制作の裏側を学んだ。
報道とリポート『やじうまプラス』『スーパーJチャンネル』
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『やじうまプラス』土曜版総合司会
2003年1月〜2006年3月。土曜朝の顔として、多彩な情報を軽快に伝え、
朝の定番枠を支えた。 -
『スーパーJチャンネル』フィールドキャスター
2003年6月〜2009年9月。政治・経済・社会問題を現場で取材し、
ディレクター的視点でも企画立案を行う。
自主取材で受賞・災害報道へのこだわり
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中越地震・宮崎台風・内陸地震への直行取材
2004年中越地震、2005年台風14号(宮崎)、2008年岩手・宮城内陸地震では、
休日返上で現地入り。自前の車とカメラを駆使し取材し、ANNアナウンサー賞
「原稿のないもの部門・優秀賞」を受賞。
朝の顔から最新まで
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『やじうまテレビ!』→『グッド!モーニング』
2011年4月〜2020年3月、早朝ワイドの総合司会を務め、
「一日の始まりを支える存在」として視聴者に親しまれる。 -
『スーパーJチャンネル』メインキャスターに再登板
2021年10月より月~木曜メインキャスターとして、報道一筋のキャリアを更新中。
4.宮崎の風景と心に残る地元取材
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青島神社での朗読イベント
大学在学中に地元PR番組で青島神社ロケを担当。
海風の音をバックにした朗読で「場の空気を声で伝える」手応えを得る。 -
チキン南蛮発祥店「おぐら」でグルメ取材
完熟マンゴー農家と合わせて紹介し、地方発ブランドの育成にも思いを馳せた。 -
海外経験が見せた視野の広さ
幼少期のニューヨーク/オックスフォードが、語学力と異文化理解を磨く礎に。
取材先での英中日インタビューも自然にこなす。
まとめ
三姉妹の末っ子として育ち、幼少期の海外体験と家族の語りが「声の力」を育んだ松尾由美子。
そして宮崎西高放送部から慶應大、テレビ朝日アスクを経て一社専願でテレビ朝日に。
新人時代から災害現場へ駆けつけ、記者顔負けの自主取材で数々の賞を受賞。
朝の情報ワイドから夕方のニュース、災害・社会・国際報道まで、現場の声”を誰よりも
大切にし続ける。
その原点は、地元・宮崎で姉妹と両親から学んだ「言葉を通じて人と心をつなぐ」姿勢にある。
これからも松尾由美子は、声と現場で「今」を伝え続けるでしょう。
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