兄弟・家族の温かな背景
坂田おさむ(本名・榮一)は1952年12月10日、北海道旭川市の
工務店を営む家庭に生まれました。
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唯一の子どもとして育つ
坂田家にはおさむ少年ひとり。幼少期、両親は共働きで忙しく、
近所の姉妹や親戚の手によって見守られながら育ちました。 -
母のピアノと歌
母親は趣味でピアノを弾き、家族が団らんするたびに昭和歌謡や童謡を奏でていました。
おさむ少年はその伴奏を耳コピし、「いつか自分も歌いたい」と願っていたといいます。 -
娘・めぐみさんとの絆
タレントの坂田めぐみさんは唯一のお子さん。3歳で父のお仕事現場に初参加し、以後も
ファミリーコンサートで共演を重ねるなど、親子二代にわたる舞台人の絆を深めています。
フォークロックバンド「宿屋の飯盛」時代(1975年)
大学在学中、フォークロックへの情熱を燃やしていたおさむさんはバンド「宿屋の飯盛」に
ギタリスト兼コーラスとして参加。
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デビューアルバム『飛んでみたのさ』
1975年にリリースされたこの一枚は、フォーク的なメロディとロックのリズムを融合。
都会的なアレンジが好評を博し、全国ツアーで数千人規模の会場を巡りました。 -
ステージでの学び
地方の小さなライブハウスから始まり、日本青年館の大ホールまで。舞台での立ち振る
舞いや音響、観客との一体感づくりを身につけ、後のおにいさんとしての親しみやすさ
にもつながりました。
ソロ歌手「坂田修」としての第一歩(1977年~)
バンド解散後、芸名「坂田修」を名乗りソロ活動を開始。
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シングル『BYE BYE東京』
1977年発表。タイトル通り夢を追う若者のほろ苦い心情を歌った作品で、フォークチャート上位にランクイン。FM局のリクエストにも応え、徐々に認知度が高まりました。 -
作詞作曲家としての顔
自身の曲のみならず、他アーティストへの提供も開始。透明感ある歌詞と親しみやすい
メロディは、当時のフォークシーンに新鮮な風を吹き込みました。
『おかあさんといっしょ』への楽曲提供と出会い(1984年)
作詞家・遠藤幸三の勧めでNHK幼児番組への楽曲提供を決意。
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代表曲『はるのかぜ』ほか3曲採用
娘を想う優しい父の視点を織り込んだ「はるのかぜ」は、幼児にも覚えやすいシンプルな
Aメロ・Bメロ構成と、サビのリズム感が好評。以後、毎月の歌に多数のナンバーを提供していきます。 -
番組スタッフとの信頼形成
曲を売り込む度に手書きの歌詞カードを持参。プロデューサーやディレクターから
「お父さんらしい温かさ」を高く評価され、楽曲提供からわずか半年でオーディションを
打診されるきっかけに。
第7代うたのおにいさん就任と8年間の歩み(1985年~1993年)
1985年4月、正式に「おさむお兄さん」として番組出演開始。
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番組での役割
毎週月~金、スタジオいっぱいに笑顔と歌声を届ける。体操や人形劇パートでもお兄さん
役を担い、子どもたちの「見守り役」「リーダー役」として信頼を勝ち取りました。 -
提供楽曲の数々
『わっしょい』『にじのむこうに』『ありがとうの花』など、29曲以上を「今月の歌」と
して送り出し、多くが今も歌い継がれる童謡の定番に。 -
同期のおねえさん・おにいさんとの絆
神崎ゆう子さん、天野勝弘さん、馮智英さんらとは退任後もコンサート共演を重ね、
年に一度の「NHKキッズソング三世代放送」で再会を果たしました。
退任後の多彩な活動と地元への想い
全国コンサートと舞台出演
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「ファミリーコンサート」シリーズや「おかあさんといっしょ60周年コンサート」に
ゲスト出演し、歌のおにいさん時代の名曲をノスタルジックに披露。 -
劇団での俳優活動や声優出演(『夢のクレヨン王国』アラエッサ役など)で幅広い
表現力を発揮。
教育・社会貢献
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白鳳女子短大客員教授として音楽ワークショップを開講。歌唱指導や作詞作曲の
基礎を教え、若手育成に力を注いでいます。 -
Dreamville Foundation同様、子どもの笑顔を守る活動にも共感し、
地域の児童館や保育園での出張コンサートを定期開催。
旭川・北海道の魅力
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忠別川と大雪山系のふもと
春の雪解けがもたらす清流の音が、のちの童謡的旋律の原点。夏は花フェスタ、
冬は氷点下の雪まつりと、自然の鼓動を五感で感じています。 -
地元グルメ
コンサート帰りには旭川ラーメン、じゃがいも料理、ジンギスカンに舌鼓。北海道の食材にインスパイアされたお土産用キーホルダー曲『しろいともだち』を作ったことも。
まとめ
坂田おさむは、幼き日に母のピアノと川のせせらぎをBGMに育ち、フォークロックバンドで
腕を磨き、ソロ歌手としても活躍。
1985年からの8年間、「おさむお兄さん」として日本中の子どもたちに歌と
笑顔を届け続けました。
娘めぐみさんとの親子共演や後進の教授、地域イベントへの参加など、現在も歌声と温かな
人柄で世代を越えた愛を集めています。
北国旭川の自然と家族の支えが育んだその軌跡は、これからも多くの
人の心に春風のような優しさを運び続けるでしょう。
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