兄弟との絆が生んだ原動力
ジェイ・コール(本名ジャーメイン・ラマー・コール)は、1985年に西ドイツ・フランクフルトで生まれ、間もなく米ノースカロライナ州ファイエットビルに移住。
父親が家庭を離れた後は、母と年上の兄2人、妹1人の4人きょうだいで暮らしました。
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祖母のもとでの幼少期
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8か月から約5歳までは、母が多忙のため祖母に育てられ、伝統的な
アムハラ語やエチオピア正教会の礼拝を通し、ルーツへの帰属意識を培う。
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母の支えと教育観
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シングルマザーとして働きづめだった母は、家計を支えながら常に
「学び続ける大切さ」を説き、コールに奨学金獲得のための勉強を促した。
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兄たちの励ましと感化
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荒れた青年期、兄たちは何度も彼を家に連れ戻し、音楽スタジオへ同行。
コールが自作のビートを共有すると、「小さくても投資しよう」と
録音機材を共同購入し、創作環境を支えた。
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アーティストまでの道のり
バスケ少年からサンプラーの虜へ
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テリー・サンフォード高校時代
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首席ヴァイオリニストを務めながら、バスケ部にも所属。試合の後に
ロッカーで聴いた50 CentやNasのカセットテープが、ラップへの興味を引き起こす。
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ASR‑Xとの出会い
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12歳のクリスマス、母から贈られたAKAI製サンプラーでループを組み始め、
家族のテレビの音声をサンプリングして初のビートを制作。
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ニューヨークで掴んだチャンス
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セント・ジョンズ大学進学
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最初はコンピュータサイエンス専攻。教授の孤独な姿を見て「人間同士のつながりの方が大切」と感じ、コミュニケーション&ビジネスに転向。
学費は音楽レーベルのインターンシップと奨学金で賄う。
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多忙なアルバイト生活
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深夜のバーやスターバックスで働く傍ら、寮の一室でビートを刻み、
仲間のバンドにトラック提供。給料はすべて機材のアップグレードに注ぎ込んだ。
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ミックステープでの飛躍
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2007年『The Come Up』
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初自主制作ミックステープ。セルフ録りの粗さが逆にリアルさを評価され、
地元ラジオ局でオンエアされる。
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2009年 Roc Nation契約
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Jay‑Z率いるRoc Nationのオーディションを7回受けて合格。
契約直後に公開した『The Warm Up』がXXL誌Freshman Class入り。
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2010年『Friday Night Lights』
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毎週日曜に新曲公開を続ける「Any Given Sunday」企画でファンを増やし、
Mixunitマガジンで年間ベストミックステープ第2位に選出。
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スタジオアルバムでの確立
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2011年『Cole World』
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全米1位、初週売上30万枚超。自身プロデュース12曲のうち特に
「Lights Please」がRolling Stone誌で高評価。
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2013年『Born Sinner』
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Kanye Westとの初チャート対決を制し、3週目に1位返り咲き。
リリックには母への感謝や社会問題への視点が盛り込まれる。
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2014年『2014 Forest Hills Drive』
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自宅住所をタイトルに、家庭と故郷への回帰をテーマに構成。批評家からは
「最もパーソナルなJ.コール」と絶賛され、年間ベストアルバム6位にランクイン。
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2016年『4 Your Eyez Only』
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ジャズフレーバーを帯びたビートが特徴。音楽業界の光と影、黒人コミュニティの
現状をリアルに描写し、10曲すべてがHot 100入り。
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2018年『KOD』
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覚醒剤、多幸感、自傷願望の3つの「KOD」を通じたメンタルヘルスへの警鐘。
3曲同時TOP10デビューは史上初の快挙。
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地元ファイエットビル&ノースカロライナ情報
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テリー・サンフォード高校裏コート
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コールがバスケと音楽を両立した地。壁にスプレーで「Dreamville」と描かれ、
地元ツアーで必ず立ち寄る聖地に。
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ダウンタウン旧レコーディング倉庫
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初期トラックの多くを生んだアナログ機材が並ぶスタジオ。
いまはDreamville所属アーティストの共同制作拠点。
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ファイエットビル・コミュニティセンター
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Dreamville Foundationが奨学金やワークショップを開く場所。
高校生向けビートメイキング講座や模擬ラジオ番組制作が人気。
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ブルーリッジ山脈のビューポイント
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産休で帰省した際のMVロケ地。「Love Yourz」では家族と訪れた
思い出を映像に収め、地元の美しさを世界に発信。
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まとめ
J.コールは、母子家庭で育ち祖母や兄弟姉妹と支え合いながら、バスケットボール少年から
ASR‑Xを手に音楽制作にのめり込みました。
奨学金でニューヨークへ進学後もアルバイトと両立し、2007年の自主ミックステープで頭角を
現し、Jay‑ZのRoc Nationと契約。
『Cole World』以降の連続1位アルバムでヒップホップ界を席巻し、自作プロデュース力を証明。
故郷ファイエットビルへの愛はDreamville Foundationを通じて還元され、
次世代支援を続けています。
家族や地元から得たリアルな体験が、彼を今なお進化させる原動力です。
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