韓国屈指の歌姫BoAが骨壊死診断のため9月からの日本ツアーを中止。
彼女の華やかなキャリアと、幼少期を過ごした故郷・京畿道(キョンギド)の魅力を
たっぷりご紹介します。
1.家族とルーツ―3人兄妹の末っ子が世界を目指したわけ
-
ピアニストの長兄・クォン・スンフォン氏
ソウル総合芸術大学教授として活躍。幼いBoAは、兄が奏でるクラシックの調べを
音楽は世界共通の魔法”と感じたそう。 -
故・次兄クォン・スンウク氏(MV監督)
若くして亡くなったスンウク氏は、妹のダンス映像演出も手がけ、
「姉の歌に映像で色を添えたい」と語ったエピソードが残っています。 -
「血のつながり」を超えたスタッフ愛
デビュー前後は、SMエンタ研修生仲間たちと文字通り家族同然の共同生活。
厳しい歌・ダンス・語学レッスンを通じた絆が、その後のグローバル成功を支えました。
2.地元・京畿道から世界へ―故郷に残るBoAゆかりのスポット
-
安山市(アンシャンシ)の小学校通学路
「兄についていったらスカウトされた」という伝説の舞台。今も通学路沿いには
SMエンタの街宣車が記念展示されています。 -
仁川(インチョン)港の見える丘公園
家族とピクニックに訪れた思い出の場所。遠くに広がる海を眺め、
「いつか世界へ羽ばたく」と誓った風景です。 -
龍仁(ヨンイン)テーマパークの小さなステージ
研修生時代、週末ごとに新人ショーケースを行ったステージ。
地元ファンの手拍子が大きな自信に。
3.「少女から歌姫へ」―BoAの芸能までの道のり
-
1998年:SMオーディションの奇跡
兄の付き添いで受けたオーディションでまさかの合格。2年間の猛レッスンで歌・
ダンス・日本語・英語を習得し、2000年に韓国デビュー。 -
2001年:日本デビューと一大旋風
15歳での日本語シングル「ID; Peace B」が大ヒット。翌年「Listen to My Heart」で
ミリオン突破、日本レコード大賞金賞を受賞し、瞬く間に国境を越えたアイドル”に。 -
2003~06年:東西アリーナ制覇と紅白初出場
連続する全国アリーナツアー、多数の紅白歌合戦出場で「アジアの歌姫」として
確固たる地位を築きました。 -
2008年~:全米進出への挑戦
デジタルシングル「Eat You Up」で全米デビューアルバムをリリース。
Billboardチャート入りを果たし、K-POP先駆者として世界市場に名を刻みます。 -
2024年以降:プロデューサー&世代交代
NCT WISH のプロデュースに就任。自身はステージをセーブしつつも、
後輩育成に力を注ぎ、K-POPの未来を支えています。
4.「骨壊死」診断―ツアー中止に寄せたコメント
「早急に手術を受けなければならない」
「アーティストの健康を最優先に…ファンの皆様には深くお詫び申し上げます」
2025年7月15日発表。激しいダンスを封印し、9月からの大阪・福岡・東京公演をすべて中止。
代々木第一体育館でのSMTOWN合同ライブも欠席が決定し、全チケットは払い戻し対応に。
重症化を防ぐには“無理をしないことが最善との判断です。
5.ファン必携!BoA情報・裏ワザ・豆知識・口コミ
-
裏ワザ①:旧SNSで過去映像をチェック
BoAは2000年代初頭のMVにも自主監修を行い、YouTube公式チャンネルの
非公開動画で秘蔵ショットを公開中。ファンコミュニティ招待URLはSNSで頻出! -
裏ワザ②:韓国“アナログCD”が熱い
当時のオリジナル盤CD+付録の写真集は中古市場でプレミア。音質・歌詞ブックレットはデジタルにはない臨場感です。 -
豆知識:ファンネームは「BoAhngels」
日本では「BoA’s Heart」を略した「BoAh」。韓国語フォントや
ロゴTシャツにも注目です。 -
口コミ:ファン同士骨壊死エール企画
手術成功を祈願し、SNSで「#WeAreBoAhngels」タグを付け、
世界中から応援メッセージが殺到。
6.おわりに―再びダンスフロアに帰ってくる日まで
幼い妹を陰で支えた3人兄妹の愛、京畿道の田園風景、SM研修生の厳しさ、並外れた努力が
結実したBoAのキャリア。
いまは一時休息を余儀なくされましたが、必ずやあのキレのある
ダンスと伸びやかな歌声でステージに帰ってくるはずです。
「世界にありがとう」―その言葉を、治療から復帰したBoAと共に
もう一度叫べる日を、心待ちにしています。
コメント