堀越耕平が描き続けた個性の世界―家族の支えと青春の挫折を乗り越えた軌跡

#漫画家

幼少期から名古屋芸大へ・ヒーローごっこに夢中だった日々

1986年11月20日、愛知県に生まれた堀越耕平先生。地元の友人たちと「ヒーローごっこ」をして遊ぶのが大好きで、町内会の空き地でマントをなびかせながらオリジナルの必殺技を考案していました。

小学生の頃には、集めたノートに個性を持つヒーローたちの設定画を何枚も描き、一人でマンガを制作する楽しさに目覚めます。

同時に「みんなの中のちょっとした違いが、誰かを助ける力になる」というテーマ意識が芽生え、後の代表作『僕のヒーローアカデミア』の土台を築きました。

中学・高校時代は美術部に所属し、イラストの基礎を学ぶ一方で、東邦高等学校卒業後は名古屋芸術大学デザイン学部イラストレーションコースへ進学。

デッサンや構図、色彩理論などを体系的に学びつつ、アメリカン・コミックスや特撮ヒーローの
ビジュアルを研究し、和洋折衷のヒーロー像を模索しました。

在学中は和太鼓サークルにも参加し、リズムを身体で覚える経験が、
後のアクションシーンのコマ割りに生かされています。


家族と兄弟代わりの仲間たち

堀越先生ご本人は兄弟の情報を公開していませんが、小・中学時代の友人たちは兄弟のような
存在でした。

放課後、画用紙とペンを持ち寄った仲間とともに、個性をテーマにした即興マンガセッションを
開催し、一晩中アイデアを出し合った経験が、創作の原点です。

家族からは「漫画家は安定しない仕事」と反対されたものの、幼少期の遊び仲間や大学の仲間が
精神的な支えとなり、「自分らしいヒーロー像を描き続けよう」という強い意志を支えました。


手塚賞佳作から卒業危機―デビューへの道のり

2006年下期、第72回手塚賞に読切『ヌケガラ』を応募し佳作を獲得。

初めてプロの編集部に評価された喜びを胸に、「次は掲載」という具体的な目標を持ちます。

翌2007年夏、大学卒業直前の単位不足で「留年寸前」の窮地に立たされながらも、徹夜で
原稿を仕上げた読切『テンコ』が『赤マルジャンプ2007SUMMER』に掲載され、奇跡の
デビューを果たします。

この時の感激は、「命を賭けてでも描きたい」という創作への覚悟を確固たるものにしました。


連載1作目の挫折―逢魔ヶ刻動物園での苦悩

2009年、『週刊少年ジャンプ』2010年2号で読切『逢魔ヶ刻動物園』を掲載。翌32号から連載版がスタートしますが、初連載ゆえの執筆スケジュールとアイデア供給のバランスに苦しみ、2011年19号で短期終了。

堀越先生は「自分の引き出しが足りない」と自信を喪失し、一時は漫画そのものを続けられないと悩みました。

しかし、この挫折体験が「何度失敗しても挑戦し続ける」覚悟とスキルアップの糧となり、
編集部との密な打ち合わせで次作への改善策を練り上げます。


再挑戦と失速―戦星のバルジ

2011年夏、『少年ジャンプNEXT!』掲載の読切『宇宙少年バルジ』が好評を博し、
2012年25号から『戦星のバルジ』として連載開始。

しかし、宇宙を舞台にした設定の難しさと世界観の構築で再び苦戦。短期終了となったものの、「一度立ち止まって、自分が本当に描きたい物語を見つめ直そう」という転機を迎えます。


大ヒット作誕生―僕のヒーローアカデミアへの回帰

過去の読切の中で最も描きやすかった『僕のヒーロー』に原点回帰を決断。2014年、
『週刊少年ジャンプ』32号で『僕のヒーローアカデミア』の連載がスタートします。

超常的能力個性が普通の人々に普及した世界で、無個性の主人公・緑谷出久がヒーローを目指す
姿と、仲間や師との絆を丁寧に描写。アクションとドラマ、笑いと感動を高水準で融合させる手法が読者の心をつかみ、アニメ化・ゲーム化が一気に加速。

2019年には米国のハーベイ賞Best Manga部門を受賞し、海外ファンからも
絶大な支持を獲得しました。


長期連載と完結―10年にわたる青春譚

2024年8月、『週刊少年ジャンプ』36・37合併号で最終話を迎え、約10年にわたる
熱狂的連載に幕。

伏線を張り巡らせ統合していく驚異的なプロット構築力が高く評価され、「令和の青春群像劇」とも評されました。

終了後も公式スピンオフやキャラクターガイドブック、ファンイベントが途切れることなく
開催され、物語の余韻は現在進行形で続いています。


人物像と創作哲学

堀越先生は「涙腺が緩い」と公言し、感動的シーンでは思わず目を潤ませるほど情に厚い一面を
持ちます。

大学時代の和太鼓演奏経験が「リズムと呼吸」を体得させ、漫画のコマ割りにもリズム感を与えています。

趣味はアメリカン・コミックス収集と特撮フィギュアコレクション。仕事場にはスパイダーマン、バットマン、ゴジラなどのフィギュアが並び、創作のインスピレーション源となっています。

好きな漫画家として尾田栄一郎先生や長田悠幸先生を挙げ、自作イラストが『ONE PIECE』巻末質問コーナーで採用されたエピソードはファンの間で伝説的に語り継がれています。

ネット上で読者の感想をチェックし、厳しい指摘も真摯に受け止める姿勢は、
「読者とともに作品を育てる」という信念を物語っています。


まとめ―挑戦と成長の物語

手塚賞佳作から奇跡のデビュー、連載の挫折を乗り越えた再挑戦、大ヒット作への飛躍。

堀越耕平先生の歩みは、「失敗しても挑む」「仲間と支え合う」「自分らしい物語を信じ抜く」という普遍的なメッセージに彩られています。

スーツを着たヒーローのように、読者一人ひとりの心に個性という希望を投げかけ続けた
その軌跡は、これからも多くの人に勇気と感動を与え続けることでしょう。

これからの新たな挑戦にも、ぜひご期待ください。

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