モデル、タレントとして多彩な活躍を続ける佐藤かよさんが、2008年にカミングアウトしてから今年で15周年を迎えました。
ファッション誌やバラエティ、舞台での活躍はもちろん、LGBTQ+当事者としての声を届け続けてきたその軌跡と、家族・キャリアへの影響を徹底解説します。
家族構成と育った環境
佐藤かよさんは埼玉県出身の一人っ子として育ちました。
母親は看護師、父親は銀行員で、家族の仲は非常に良好。
幼少期には家族でよくキャンプに出かけ、自然の中でのびのびと過ごした
エピソードをインタビューで語っています。
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兄弟姉妹:いない(一人っ子)
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父:銀行員。保守的な家庭ながら、カミングアウト後も変わらず娘を支える。
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母:看護師。カミングアウトを受け入れ、モデルとしての挑戦を陰ながら応援。
カミングアウトに至るまでと決断の背景
2008年、当時人気モデルとして活躍中の佐藤さんは、自身のブログで
「私はレズビアンです」と告白。
周囲の反応を恐れながらも、「これ以上嘘をつき続けたくない」と強い意志で決断しました。
その理由として、以下を挙げています。
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自己肯定感の追求:本当の自分で生きることの解放感。
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当事者の声を届ける使命感:ファンや同じ境遇の若者を勇気づけたかった。
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モデル業への影響を覚悟:厳しい業界での差別を覚悟のうえでの告白。
カミングアウト後のキャリアと活動
カミングアウト直後、ファッション誌から数点のオファーがキャンセルされるなど一時は
逆風もありましたが、以下のようにキャリアを拡大していきます。
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2010年〜:
LGBTQ+関連イベントのアンバサダーを務める。 -
2012年:
舞台『真夜中のパーティー』で主演を務め、俳優業にもチャレンジ。 -
2015年:
ドキュメンタリー番組で自身の経験を語り、共感の声が多数。 -
2020年〜現在:
モデル活動と並行して、オンラインサロンを開設し当事者コミュニティを支援。
家族の支えと現在の関係
最初は戸惑いを隠せなかった両親も、現在では積極的にLGBTQ+理解を深めるための
学習会に参加。
特に母親は、テレビ出演時の衣装を手作りするほどの“マネージャー兼
応援団長”として活躍しています。
父親も娘のイベントに駆けつけ、家族で一緒に写真を撮るなど、
公私ともに良好な関係を築いています。
カミングアウト15年の社会的意義とメッセージ
15年の軌跡を振り返ると、佐藤さんは日本のLGBTQ+ムーブメントの草分け的存在。
公の場で当事者として声をあげることの重要性を、次のように語ります。
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「誰かが最初に立ち上がらなければ、社会は変わらない」
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「嘘の自分で息苦しくなるより、傷ついても真実で生きたい」
若者からも「佐藤さんのおかげでカミングアウトできた」との声が寄せられ、
カウンセリング団体では事例として取り上げられています。
豆知識・プチ情報まとめ
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初のLGBTQ+向けファッションショー出演:
2011年、日本初のLGBTQ+チャリティファッションショーでランウェイを歩く。 -
著書『私を愛して』:
2013年刊行のエッセイ集でカミングアウト体験を綴り、ベストセラーに。 -
オンラインサロン:
2021年開設の『Kayo’s Rainbow Room』は会員数500人超。 -
法改正への働きかけ:
地方議会に賛同メッセージを送り、同性パートナーシップ法成立に寄与。 -
愛犬家:
トイプードルを2匹飼っており、インスタグラムで癒しショットを公開。 -
語学力:
英語・フランス語を独学で習得し、海外のLGBTQ+イベントで通訳も担当。 -
趣味:
バイクツーリング×キャンプの“ソロキャラバン”で自由を謳歌。
まとめ
モデルとしての華やかなキャリアだけでなく、2008年のカミングアウトから15年、
佐藤かよさんは当事者として社会に大きな影響を与え続けています。
家族の支えに感謝しながら、これからも真実の声を届け、次世代に
勇気を与える存在であり続けることでしょう。
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