家族とルーツ
中野慶子(本名:宮崎慶子)は1937年12月8日、長野県松本市に生まれました。
幼少期から音楽が身近にあり、地元・松本児童合唱団に所属。家族ぐるみで歌を楽しみ、
歌うことが日常でした。
学習院大学文学部英米文学科へ進学後、NHK俳優養成所第1期生としてソプラノの名手・
関種子、坂本芳子に師事。
大学卒業後、劇団三十人会を結成し舞台に立つなど、着実に歌唱力と表現力を磨きました。
1964年、NHKで出会った作曲家・宮崎尚志氏と結婚。長男・道(みち)、
次男・歩(あゆむ)をもうけ、家庭と芸能活動を両立する日々を送りました。
「うたのおねえさん」としての軌跡
1961年4月から1964年9月まで、『うたのえほん』(後の『おかあさんといっしょ』)で
眞理ヨシコ(現・眞理ヨシコ)と共に初代うたのおねえさんを務めました。
彼女の透明感あふれるソプラノと優しい語り口は、当時の子どもたちや母親たちに「おかあさんの隣にいるお姉さん」として深く愛され、番組の顔として定着。
代表曲「いぬのおまわりさん」(1961年10月初披露)は、レコードで大ヒットし、以後も
子どもの歌の定番に。
番組では、毎回3日分の収録を10分VTRで一発撮りする緊張感の中、歌唱だけでなくアドリブの
やり取りでも子どもたちを惹きつけました。
「歌詞の最後にこんにちはを入れてみよう」など季節ごとの歌詞改変や、
小道具を活用した手遊び歌も生み出し、視聴者参加型のコーナーを確立しました。
地元・松本への思い出
松本卒業後も、連休には必ず故郷を訪れ、山と川に囲まれた美しい風景の中で家族とキャンプや
山登りを楽しんだといいます。
松本深志高校時代に声楽を学んだ母校周辺の石畳や城下町の風情は、彼女の歌唱表現に
「静謐さ」と「清潔感」を与えたと自認。
地元・長野県で開催された「ふるさと童謡祭」では何度もゲスト出演し、
子どもから高齢者まで幅広い世代と歌を分かち合いました。
お子さんたちの活躍
長男・宮崎道さんは幼少期に母と共演し、NHK子ども番組で活躍。
現在は音楽プロデューサーとして、子ども向けコンサートやイベントを多数手がけています。
次男・歩さんもお母さん譲りの声質で、児童合唱団の指導者として全国を飛び回る日々。
東京・松本を問わず「歌手・中野慶子の子どもたち」として注目を集めています。
裏ワザ:自宅で楽しむ松本流遊び歌
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手のひら山登り
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「手のひら険しい岩山」「頂上は風が寒い」など、手のひらに山のイメージを描きながら歌う。親子で登山気分を味わえます。
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アルプス笛吹きごっこ
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空きペットボトルの底に小さな穴を開け、ストローを刺して吹くと「山の音」が
再現可能。
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そば打ちリズム体操
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松本名物・蕎麦打ちのリズムを手拍子で再現し、歌詞を
「おそば打ち せっせっせい!」に変えて楽しむ。
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豆知識:レコーディングのこぼれ話
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「いぬのおまわりさん」のAメロ録りでは、犬の鳴き声エフェクトを生で演出。
録音スタジオにリアルな小型犬を連れてきて、吠え声をタイミングよく収録しました。 -
当時の録音テープは高価だったため、NGが許されず、一発録りを成功させるために歌詞を
体に叩き込み、リハーサル無しで本番に臨む“心臓バクバク”の現場が日常でした。
ファンからの口コミ
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「幼稚園の頃、毎朝『おはようございます』の歌を歌うと、家の中がパッと明るくなった」(50代・女性)
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「松本に帰省すると、道端でふと『いぬのおまわりさん』を口ずさみたくなる」
(30代・会社員) -
「子どもが熱を出したとき、『おかあさんといっしょ』の録画を見せたら、
にっこり笑って看病が楽になった」
(40代・主婦)
まとめ
中野慶子さんは、地元・松本の清らかな自然に育まれ、学習院大学で英米文学を学びつつNHKで
うたのおねえさんとして全国の子どもたちに「いぬのおまわりさん」をはじめ数々の名曲を届け
ました。
結婚・子育てを経て一時芸能界を離れましたが、1980年以降はプロデューサーとして再び舞台に立ち、2014年には“りぼんコンサート”を開催するなど精力的に活動を続けています。
家族ぐるみで音楽を愛し、裏ワザとして松本流の歌遊びを伝承。
今も変わらず“歌でつながる心のふるさと”として、多くの世代から親しまれています。
これからも中野慶子さんの澄んだ歌声と笑顔を、ぜひ再発見してください。
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