「ロンドンブーツ1号2号」田村淳・詳細版:結成から解散、淳の原点とこれから

#タレント

お笑いコンビ「ロンドンブーツ1号2号」(以下ロンブー)は、2025年6月24日の『ロンドンハーツ』(テレビ朝日)の生放送で突如“解散”を発表し、32年にわたる活動に幕を下ろしました。

コンビ結成時からの顔とも言える赤髪の淳さん(本名:田村 淳/たむら あつし・1973年3月4日生まれ)が、解散後初の取材対応で語った言葉の数々からは、一人の漫才師として、また一人の
人間としての深みが垣間見えます。

この記事では、以下の3つのテーマで田村淳さんの軌跡をより深く掘り下げます。

  1. 家族と兄弟構成──芸人になる前の土台

  2. 深川(江東区)での幼少期・地元エピソード──お笑いの原点

  3. 芸能界までの道のり──結成秘話から吉本入り、ロンブー黄金期、解散まで


1. 家族と兄弟構成・一人っ子が背負った期待と自由

  • 一人っ子としてのプレッシャーと自由
    淳さんは一人っ子。両親は共に東京都の公務員で、特にお母様は非常に
    教育熱心だったそうです。

    小さい頃から「自分で考えて行動しなさい」と言われることが多く、
    一方で下に兄弟がいない分、好き放題やらせてもらえたと振り返ります。

  • 親子のエピソード
    お正月やお盆には必ず実家へ帰省。「帰ると、親父が必ず『おかえり』じゃなくて
    『お帰り淳!』と大声で迎えてくれる。あの瞬間、ホッとするんですよね」と語る淳さん。

  • 家族の影響
    学生時代、両親から「人を笑顔にする仕事をしなさい」と説かれたことが、後に芸人への道を後押ししたとも。

    父親は寡黙ながらも客席に足を運び、舞台袖でひそかに淳さんを応援していたといいます。


2. 深川(江東区)での幼少期・地元エピソード─コントごっこから予兆する未来

  • 下町・深川の雰囲気
    1970年代後半の深川はまだ人情味あふれる下町。路地裏に駄菓子屋が並び、夏は盆踊り、
    冬は縁側にこたつを置いてお汁粉を振る舞う―淳さんの子供時代はそんなアットホームな
    環境でした。

  • 「縁石コント」伝説
    小学校の放課後、クラスメイト数人と縁石をステージに見立て、即興のギャグや早口言葉で笑いを取っていたといいます。先生からも「淳くん、やめなさい!」と注意されるほどの
    人気でした。

  • 高校演劇部での覚醒
    都立深川高校演劇部では、シェイクスピアを日本語訳して上演。その舞台で客席を爆笑に巻き込み、演出・脚本を自ら手掛けたことが「笑いをデザインする喜び」を教えたそう。

  • アルバイト経験
    銭湯の番台で「いらっしゃいませ」「どうぞお先に」と挨拶の口調を変えてみたり、
    カフェのホールでコーヒーの豆知識を盛り込んだトークを披露したり。接客術が後の
    MC力に結びつきました。


3. 芸能界までの道のり─結成秘話から吉本所属、成功の方程式、 そして解散まで

★ 結成(1993年)~赤と金のビジュアル戦略 ★

  • 淳さんと亮さん(田村亮/1972年3月15日生まれ)は、いずれもNSC東京校11期生。

    同期の飲み会で再会し、意気投合。コント仲間が集まるセミプロのライブで
    「マシンガンズ」というコンビ名で活動を開始しました。

  • 1994年、「一人はブーツを片側だけ履いて動きづらくする」というコントから発想を得て、コンビ名を『ロンドンブーツ1号2号』に改名。

    淳さんは真っ赤な髪、亮さんは金髪というパンク風ビジュアルも一瞬で話題に。

★ 吉本興業所属(1994年)~全国区へ ★

  • よしもとクリエイティブ・エージェンシーとの契約後、深夜番組への出演が増加。
    やがて『ダウンタウンDX』『内村プロデュース』などバラエティのレギュラーを次々獲得。

  • 2002年スタートの『ロンドンハーツ』(テレビ朝日)は16年にわたる長寿番組に。
    淳さんの鋭いツッコミと立ち回りに加え、アンコール結成当初からのドッキリ
    企画が大ブレイクしました。

★ 闇営業騒動と複数号計画(2019年) ★

  • 2019年、亮さんが反社会的勢力の宴会に無断出演し謝礼を受け取った問題で謹慎。
    ロンブーは事実上淳さんのソロ体制に。

  • 淳さんは「ロンドンブーツ複数号計画」を発案。弁護士、脚本家、芸人…計13号まで
    メンバー案を上げて共同舞台を企画したものの、亮さんが乗り気になれず頓挫。
    後に「一番心残り」と笑い話に。

★ 解散発表(2025年6月24日)~解散後初コメント ★

  • 『ロンドンハーツ』生放送中に突如「一度、屋号を下ろす」と発表。淳さんは即座に
    「僕らの原点であり、最大の武器だった“ロンブー”という看板を外すのは切ない」と
    胸中を吐露。

  • 解散後初取材となった7/15の文化放送定例会見では「街で『ロンブーの淳さん?』と
    声かけられても、名乗れない寂しさ」「新しいサインを募集中」とユーモアを忘れず、
    ポジティブ&ネガティブ両面の心境を率直に語りました。


まとめ

  • 幼少期の縁石コントが、30年以上先の舞台芸人デビューを予告していた

  • 家族との絆と一人っ子の自由 が、自己表現の基盤を育んだ

  • 演劇部やアルバイト経験 で磨かれたコミュ力が、MC・バラエティで開花

  • 結成から解散 まで、32年間“笑い”をデザインし続けたロンブーの象徴・田村淳

  • 複数号計画という野心 にも懲りず、新たな挑戦を探し続ける飽くなき好奇心

これからは“淳ひとり”としての新章が幕を開けます。ロンブーの伝統を胸に、自由な発想でどんなエンタメを見せてくれるのか。

その一挙手一投足が、これまで以上に注目されそうです。

次なる田村淳としての活躍を、ぜひ一緒に見守りましょう!

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